皆さんは、日本にどれくらいの温泉があるかご存じですか? その答えを『世界の温泉地 ―発達と現状』(山村順次著/日本温泉協会)で引いてみると、約2万7千もの源泉があるとのこと。また宿泊施設を有する温泉地も約3千カ所だそうです。ご想像の通り、世界的に見ても群を抜いて温泉地が多く、まさに温泉大国なのです。
これだけあるなら温泉巡りも楽しくなるはず。でもどうせだったらコンセプトを持ってドライブするのもいいですよね。そう、例えば、歴史の古いお湯なんてどうでしょう。そこで今回は、日本三古湯(にほんさんことう)と呼ばれる3つの名湯をご紹介します。
『日本書紀』『風土記』などに登場している三古湯
ところで何をもって「三古湯」とするかは、根拠とする史料によっていくつかの説があります。一般的には日本最古の歴史書の1つであり、「正史」(国家によって編纂された公式な歴史書)とされる『日本書紀』に、その名が残る「道後温泉」、「有馬温泉」、「白浜温泉」が“最古”の温泉地として紹介されています。
もしかしたら歴史上の人物も、その湯を堪能したのかもしれないと考えると、ワクワクしますね!
道後温泉(愛媛県松山市道後町)
『日本書紀』をはじめ、『伊予国風土記(逸文)』、『万葉集』、『源氏物語』など、多くの歴史書などに登場している温泉地です。古くは神話の時代から存在するといわれている湯の地であり、その歴史は実に3000年以上とも。また、縄文時代の土器なども出土しています。
『伊予国風土記』の記述によれば、気を失った大穴持命(大己貴命とも。のちの大国主命)を助けるために、少彦名命は「大分なる速見の湯」から、暗渠で温泉を引き、大穴持命をよみがえらせたといいます。また、聖徳太子もこの温泉に訪れたとの話もあり、その古さは折り紙付き。温泉街を見下ろす湯神社は、大己貴命と少彦名命を祀っており、その関係性の深さがうかがえます。ちなみに「大分なる速見の湯」とは別府温泉とされ、こちらも同じくらいの歴史を持つ温泉であることがわかりますね。
明治には、正岡子規と夏目漱石が日本の文学について語り合ったそうですよ。
有馬温泉(兵庫県神戸市北区有馬町)
『日本書紀』、『万葉集』、『枕草子』に登場する温泉地です。道後温泉と同じく、『延喜式神名帳』に基づく三古湯においてもランクインしており、江戸時代の温泉番付では当時の最高位である西大関に格付けされていました。まだ、「横綱」がなかった時代ですね。
本州にある温泉地ということも関係しているのでしょう。古くから皇族、貴族や文化人に愛されてきた温泉でもあり、舒明天皇や清少納言、後白河法皇、豊臣秀吉、谷崎潤一郎といった人物が訪れたという話が残っています。なお発見したのは大己貴命と少彦名命とのこと。少彦名命って根っからの温泉好きだったんですね。
南紀白浜温泉(和歌山県西牟婁郡白浜町)
海沿いのリゾート地としても名高い南紀白浜も、やはり歴史深き温泉地です。『日本書紀』では「牟婁温湯(むろのゆ)」として斉明天皇、持統天皇、文武天皇が訪れた記録が残り、『万葉集』では、額田王が「紀の温泉」に行幸した際に詠んだという和歌があります。平安時代以降は熊野詣の往来の途中に立ち寄る皇族や貴族も多かったとか。保養地として古くから定着していたのでしょうね。
また熱海温泉、別府温泉と共に日本三大温泉といわれていた時代もあります。
特に人気なのが太平洋を望める崎の湯や白良湯。足湯施設も多く、近隣の散歩が楽しい温泉地です。
宮城県の鳴子温泉、長崎県の雲仙温泉、栃木県の那須湯本温泉なども歴史を振り返りながら入れる温泉です。いずれもドライブしやすい場所にありますよ!